山田正明様より、事務局宛てに2004年5月中旬に頂いたお手紙です。管理人が代筆しています。


 五月晴れの年間を通して、とても過ごしやすい季節です。連休は合宿でご苦労様でした。
 突然のOB会への入会ご案内、とても驚くと同時に、タイムスリップした様に思い出の世界にいざなってもらいました。
 まずはご案内、本当にありがとうございました。名簿を拝見して、なつかしい名前に触れて、うれしく思いました。それと同時に、その後の高田高校の合唱部が脈々と歴史を築いておられた事に感謝を申し上げたいと思います。

 もう何度もお聞きになられたと存じますが、私が高校二年の時、学校が火災にあいました。私の自宅は、学校から歩いても数分の所にあったものですから、ちょうど風呂に入っている時に「火事だ!」の声と共に本能的に「学校だ!」と思ってしまったのです。その後は、勝手に体が動いていました。駆け出していたのです。あの頃の私たちの履物は、ゲタ(それも5cm以上ある高さの)です。それで走り出し、途中で鼻緒が切れ、裸足で駆けていました。後で良くみると足の裏は切傷だらけでした。やがて、その後の焼跡の片付け、焼角材を足に落し、骨にヒビ。又、火事の途中で、まだ寄贈されたばかりのピアノが玄関の奥に置いてあり、それをたった三人の先輩達がピアノの足を折りながらも外に引っ張りだした事、それこそ火事場の馬鹿力そのものです。

 そういう様な経過があり、結果的には予算の問題もあり「予算のかからない部に於いては活動を認める」という話になったのです。私の頃も、今も昔も変らず進学を多く望む受験地獄の毎日でしたが、声を掛け合って、合唱部を立ち上げたのです。その中で、三年生が半分以上も入部した事は、いかに勉強だけでなく、何かをやりたいと思っていた三年生が多かったかという事です。
 さっそく練習を開始し、その年のNHK合唱コンクールに出場し、見事県大会に駒を進めました。(審査はテープです。)生徒達だけの活動です。学校に指導者が居た訳ではありませんので、文字通りよってたかって、練習をしたのが現状です。
 私が部長で、指揮は石塚忠紀君でした。彼は中々の才能の持主でした。
 その頃の練習風景等、スナップ写真のコピーを同封しますが、建てたばかりの新校舎(未完成)の屋上での練習、親睦旅行等、やはりなつかしいですね。
 勝手に思い出話ばかり書いてしまいましたが、その歴史が今も続いている事がとても嬉しい事です。後輩達よ、万才!です。

 その後、私はそれをもとに、当時の新潟大教育学部芸術学科音楽科(声楽)に入学し、結局はプロの合唱団に入り、それで飯を食しながら、合唱団の指導、オペラの舞台へと完全に音楽の世界に入り込んでしまいました。
 今、私は、仙台オペラ協会に所属し、歌っております(今秋のフィガロの結婚−原語−)。後は合唱団指導(五団体)、吹奏楽、オーケストラなど、現役でやる事がなんとか出来ています。でも年をとってきましたので、声は出にくくなっていますね。今年六十四才になるのですから。

 色々書きつらねて、ゴメンナサイ。なにしろ「音楽の道」に入り込んだ原点が、この合唱部だったものですからついなつかしく嬉しくなったものです。
 まだスケジュールの都合が付きませんので、8/8は伺えるかどうかわかりませんが、行けたら是非ステージにのってみたいものです。出来ましたらOBが歌う合唱曲名をお知らせ下さい。出られる様なら譜面を見てみたいとおもいますので、どうぞよろしく。
 現役生が六名との事、なんとか頑張って継続して下さい。無くすのは簡単です。作るのは大変なのです。期待しています。
 事務局の皆様のご苦労を感謝し、今後一層のOB会の発展と演奏会の成功を祈念して、ペンを置かせて頂きます。

籠島先生
今井康人様

第11回卒  山田正明


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